刀を帯び、紋服に正して歩く時、私はふと、万延元年の春、ニューヨークを行進した新見豊前守ら幕府遣米使節の姿を思い浮かべる。ブロードウェイには初めて日本人を見るニューヨーカーが好奇の目を光らせ群れていた筈である。だが、彼らの目に映ったのは珍奇な服装をした未開人では決してなく、「超然とし、真摯な魂と輝く目」を持つサムライの姿だった。その凛々しく気品に満ちた態度は、十九世紀ニューヨーカーの心をはっしと打ったのである。
私たちは何故紋服に威儀を正して居合を演じるのか。ただ人を斬る技術を学ぶだけならば、もっと機能的な道着が望ましい。しかし、私たちが真に学ばんとするものは、日本刀と紋服に凝集された精神的美意識、武士たちが数百年の歳月をかけて完成させた武士道にほかならないのではないのか。
昭和二十年の敗戦この方、私たちは物質的豊かさを追求するに急なあまり、貴重な精神的遺産を惜しげもなく捨て去ってしまった。便りの物質的繁栄が危機に瀕した今、政治と経済の構造改革を求める声が騒がしい。しかし、最も急を要するのは、むしろ精神の構造改革ではないだろうか。最近のすさまじいモラルハザード、その中から日本を救うのは、武士道の再生以外にない、と私は痛感している。
武士は質素を旨とし、武を練り、教養を高め、何よりも美しく身を処することを求め続けた。私もまたそのように生き、そしてやがて死ぬために、日々剣に学びたい。「剣は心なり」の宗家訓は、私にとって何より心強い言葉である。
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